キツツキと雨
ドキドキハラハラのない映画が好きだし、
むしろそれがあると見られないくらいだ。
そんな私が好きな映画は、
ふたつとも何度でも見られるくらい、
落ち着く映画だとおもう。
ただ、前者は、
小栗旬が電車で逃げようとするシーンは、
ドキドキハラハラするからなるべく見ないようにするし、
後者は、高良健吾が遠い恋人との電話でつれなくされるシーンと、おならをした堺雅人を娘が殴るシーンが難しい。
今まで、映画やドラマが苦手という話をするときに、なんとも説明できず、「ドキドキハラハラのシーンが苦手だから」と言ってきた。
脳内で(ぶりっこかよ)ってツッコミが起こる。
でも、本当に映画もドラマも、目と耳を塞がずにはいられないシーンが多い。どうしても、心が耐えられないから、もう無理しないことにしている。ニュースもバラエティ番組も、見られないシーンは多い。
この間、「共感性羞恥」という名前を知り、
ほむほむ、、、となった。
この類の感情なんだろうと思う。
最近思うのは、この自分の境界線のなさ、共感性のこと。
これを今後の人生にいかせられれば、なあ。
今は、自分を苦しめがちで、もてあましている。
映画の話に戻ると、
役所広司は、嫌なことしないしされないから、安心だ。車の中で、脚本の内容を聞いている時のあいづちが、いちばんすき。
堺雅人も、嫌なことしないしされないから、安心だ。
柔軟で余計なこと言わないのがいいよな、ふたりとも。
こういうひとのそばにいると、安心するだろう。
私は人の雰囲気に飲み込まれてしまうから、負の起伏の少ないひとのそばにいたい。そうしたら、私もいつだってご機嫌でいられる気がするよ。