同じことを繰り返しているのか。

自分に興味を持ってくれるとうれしくて、近づけば、結局は聞き上手になってしまう。沈黙の訪れる一瞬前に話をはじめて、スペースを提供することになる。交代ごうたいにはならなくて、矢印がむきっぱなしになる。

ゆっくり向き合えるほどの関係を築けなくて、空白を怖がって埋める私ばかりになってしまう。

謙遜も言い逃れも、一度うけとめて、あともう一度、私のターンにしてほしいのに、そのターンは二度こない。みんな、自分の話がしたい。

酔ったら泣き上戸になるのではなくて、悔しさが溢れるのだと思う。

どうして。どうして。

興味や思い遣りは、想像力からくるもののはずと思う。優先的に満たされる経験を、溢れさせたい。溢れたら、枯れることはない気がする。

ポニョのシーンみたいに、一度通れば、回り続けるのではないか。

回り続けられるターンになれる応援を、相手にあげられるか。