津村記久子が落ち着く

少し精神的な負担があるから、同じ本を読み返すことをあまりしない。

 けど、長旅電車旅をきっかけに、Kindle津村記久子を読み返した。

 

本当すきだなあとおもう。

 

津村記久子「浮遊霊ブラジル」の『個性』。

主人公〈森さん〉の、静かな素朴な視線がいい。周囲との関係を捉えていながら、あまり出しゃばらないところや、自分の基準でひとのことをおざなりにしたり、大切にしたりできるところがいい。

森さんは、話すことが苦手なひとからのお茶のお誘いにのって(まずのるところが好きだ)、2時間の間、自分が95%話して別れた後、そのひとからの誠実な長文メールを受け、4時間やりとりをする。すごく好きなエピソード。

ひとのことを否定しないひとだなとおもう。

いきなり身なりを派手にしてきたひとに対して、なんで?ってすぐには聞かない森さんは、相手にそうする理由があることを前提に、その前提を尊重し、自分だけで理解できないか、まず受け取っているきがする。

授業を休んだひとに、その日のノートを詳細にとって渡してあげようとして、一生懸命ノートをとり、その後のお昼時間にノートを見返す森さん。きっと、ノートをとるときも、ノートを見返しながらお昼ご飯を食べるときも、森さんはひとりなんだとおもう。よく分からないけど、そういうところがいい。

 

森さんになりたいか、森さんの知人になりたいか、聞かれたら、迷うな。

 森さんかな。

アラーム

寝起きがいい。たいてい2秒で目が覚めて、5秒でご飯が食べられる。

ただ、年に数回、起きられない日があって、そんな日のために毎日セットしている『最後の砦アラーム』。今日はそれで起きた。 

毎朝、身支度しながら、けたたましいアラーム音を消すのがストレスなのだけど、しておいて本当によかった。

 

実家にいたときは、母が、私の部屋のドアを開けながら、驚いた声色で私の名前を呼んで起こしてくれた。

あのときの、驚いた声、好きだったな。

 

 

オーツ麦

ここ1ヶ月くらい、ビーガンのひとの生活を流すユーチューブなどを見ていて、フルーツや玄米をお腹いっぱい(まさに文字通り、お腹いっぱい)食べることに目を奪われていたのだけど、その中で出てくるオートミールに、興味がある。あまり美味しいものではないらしいけど、はちみつを入れたりして、煮込んだりして、食べてみたい(美味しくなさそう)。

 

そのなかで、ビーガンのひとがときどき、調理するものに「オーツ麦」を入れていて、なんだかずーっと気になっていたんだけど、なんで気になるのか分からないでいた。

あと5分続けて考えたら答えがでそう!

って思いながら、でも、このいまの、

あと5分続けて考えたら答えがでそう!

という感覚が珍しくて楽しいと思って、答えをださないでいたら。

 

そしたら、今日、帰り道に疲労困憊で寄ったコンビニエンスストアで、謎が解けた。

それは、脳内変換がどうしても『大紬』になるからだった。

麦って分かってるのに、大つむぎになる。

 

つむぎっていう響き、かわいいよね。

オーツ麦と、大つむぎは、ぜんぜん違うけど、少し、言葉の雰囲気が似ていて(同じなのだけど)、どちらも好みだなあ。

 

 

いやなおんな

小説やドラマで描かれる、いろいろな「いやなおんな」、「いやらしいおんな」、「いけずなおんな」は、当人は自分のことをどう認識してるのかと思う。

もし、そのひと自身が、自分のいやらしさを、めんどくささを、自己満足ぶりを、認識していないのだとすると、私がその「いやなおんな」たり得る。そう考えるととてもこわい。

自分のことばかり話す、価値観を押し付ける、ちゃっかり美味しい汁を吸う、そんなひとは苦手なのに、誰かにとってのわたしがそうだとしたら。

 

誰かに批判して欲しいと思うのは、こんなとき。

 

あたまいた

頭痛もちではないけれど、おひるねをしすぎたせいか、頭痛がやまない。

 

すごい雨で、1日中家にいて、しかも一つの部屋のなかにいた。頭が痛くて読書も進まず、洗濯以外になにもしなかった。

明日は晴れるらしいから、買い出しに行こう。

 

外で冷えたグラスにはいったビールが飲みたいのだけど、なかなかそれをする機会に恵まれないな。

 

明日はなにしようかな。

暑すぎないといいな。

 

きちんと取り組むことへの恐怖感

 

例えば10の工程のあることについて、

きちんと取り組むというのは、1〜10をすべて把握したうえで、順番を考え、段取りを考え、正確に進めていかないといけないということだと感じるのだけど、そのことが怖くて、わたしはざっと見て、雰囲気1〜10を把握し、雰囲気ちいさいものから順に1と10を埋めるような作業をしてしまう。

空白のある状態がこわくて、ろくろく読まずに書いてしまうし、未完の状態がこわくて、適当におしまいまでしたことにしてしまうし、忘れることが怖くて、1つのことが終わる前に次のことを始めてしまう。

そろそろそういう生き方、仕事の仕方を改めないといけないんだけどな。そう思い始めて長いな。

怖がりなんていうのは言い訳で、単に逃げてるだけだと分かる。また明日からも挑戦してみる。