ぎゃんぎゃんした

過ぎたら、なにということはなかったな。大丈夫。ただ、淡々と日々を積み重ねていくことを続けていく。

 

今日もぎゃんぎゃんしてしまったから、うーん、どうしたらいいのかわからない。明日も気持ち新たに。

 

明日はお昼ご飯はお弁当をやめて、サンドイッチにしよう。朝ごはんはたまごご飯にしよう。たのしみたのしみたのしみ。

お洗濯をして、少し整理整頓もして、歩いて行こう。

 

今日は大粒の雨が降ったり、雷が鳴ったり、虹が出たりして、したかった寄り道ができなかったから、明日は寄り道して帰りたい。パンを買って帰りたい。

 

楽しみ楽しみ。

ねてた

お腹がいっぱいになって、そのまま眠たいがきて眠ってしまっていた。眠っているうちに雨が降ってきたみたい。寒くなって目が覚めた。

雨のことが好きになる一年だったな。

 

自分のことワイワイっていうの、可愛いよなー。すごく羨ましくなりながら、耳を傾ける。好きだ。何回も聞いている。

 

今晩はお風呂に入り、もらったオイルを爪と髪につけて、また眠ろう。

 

発信することではないけれど、また泣く。泣きながら、「むちゃ泣くやん」とひとりごちる。しっかりしてほしい、自分に。

 

落ち着いてって言われるの、でも、嫌だったな。辱められているような気持ち。まあたしかに、地に足がついていないような、そんな具合ではあったのだけどさ。

 

よく眠れますように。

明日もお弁当をつくって、歩いて勤めに行く。

お寿司でお祝いした。クリーニングの回収もできて、すごく安心した。年々、シーチキンマヨネーズの入っているサラダ巻きとか、甘く煮たかんぴょうの入っている太巻きとか、そういった巻き寿司が好きになってきて、自分でも驚く。邪道だ、なんて思っていたときもあったのに、こうやって変わることがあると嬉しくなるな。扉は閉めずに開けたままにしておこうと、やはり思う。

 

旧友から贈り物をいただき、久しぶりの、なんというか、現役の、というか、最前線の、というか、そういう攻めたパッケージデザインのもので、思わず、声が出た。ありがとう。

 

特別といえば特別で、そうでもないといえばそうでもない。毎日は続いていて、気持ち次第でスペシャルもノーマルもありえる、同時に存在している、そんな感じ。

 

ご飯粒を食べたからかな、ねむたあくなってきた。、

「面白くなってきそう」

明日が近づいてきて、不安になってしまって泣いている。強く、新しく、生きていきたいと思う一方、実現のターンがくるのが怖い。でも、きっと、この怖いは、ワクワクしてきた、面白くなりそうだ、と同義だと知識として知っている。

区切りは嬉しく、そして、緊張があって、いいことだな。

部屋の片付けをして、トイレ掃除をして、明日のお弁当のおかずをつくり、台所の掃除もした。明日はまたゴミを出そう。

 

良い日にしたいと、強く思ってしまうけど、それは今日もそうだし、昨日もそうだし、明日もそうだから、きっと平気。

 

明日からも「面白くなりそうだ」!

「何をしたっていい」と、人にはそう言える。

どうしても生活リズムが狂って目の下がどす黒くなってしまうけれど、たまの暮らしは悪くない。気兼ねなくクーラーをかけながら、でもオフタイマーはかけて、眠りについたりする。

エスト部分がゴムで調節できる、ハリの強めの生地でできたスカートを、母に履かせてみて、よく似合うと伝える。オシャレを楽しみたい母に、タガを外して楽しんでほしい。「何をしたっていい」と、人にはそう言える。私の体では、間延びしてしまうんだよな、あの形は。

また秋に挑戦するつもりはある。

好きな場所を選んでそこに身を置くこと、仕事も生活も。それがなんとも難しく、でも実現したいことだなあと思う。必要に迫られた関係から必要に迫られはしない関係へと、進んでいくのが自然でいいように思うけれど、どうだろう。物欲しげなのは嫌だったり、ほどほどにできない自分の弱さだったり、ナンセンスな区別や縄張り意識だったり、取り払いたいものにフォーカスしてしまう。ただ単に、受け答えだけをしながら、楽しい気持ちがあったら笑い、答えが上がってくるまで黙り、静かに物を食べたり、お風呂に入って頭を乾かしたり、眠って目を覚ましたり、したい。自分のこと言動を、反芻するの、疲れてしまうね。

母とのエスニック料理と甘味はとても良くて、念願が叶った。でもまだほかの念願もそこにはあって、また叶えることができそう。

触れたり、じろじろ見つめたり、怒ったり、押し付けたり、家に来たり、しない母。思うたびに涙がでる感情の種類を、分かりたい。感謝で良いのかな。

 

明日、また一仕事をして、帰る。たくさん話をしたから、話したことはみんな過去になった気分。葬ったという感じ。

 

メモ。

日本酒を贈る。

出産報告を聞きながら、人に会い、日本酒を贈る。深めに酔った人を送り届け、タバコを吸う人のいる場所で時間を少し調整する。タバコの強い匂いは久しぶりだな。服も髪も洗いたい。犬の匂いは構成物がなにであっても「YOUKOSO!」なのに、知らない人に嗅がされるタバコの匂いは、本当にアンウェルカムだな。髪を二度洗いたい。

どこに住んでも、構造は、拡大すれば似通ってくるのかな、きっとそうなんだろうなと思った。夜の時間と、知らない人と知らない人と知らない人とお店の人とのベン図。含む、含む、交わる、交わる、交わらない、交わらない。

サッポロ生ビールのラベルは、愛しいな。

 

親の贔屓目や、声の大きさや、えぇ?という口癖や、期待や覚悟は、日本酒とともに溶かそう。どうでもいいどうでもいい。

 

コンタクト一年分の代金は八万円弱だった。目に被せる柔らかい膜は、そりゃ、そうだよね。

 

頃合いだと言うのはまさにその通り。

アルコールが寄り添う。

パフォーマンスは大切で、人から見られる自分が自分であることも可能か。

ちなみに、酔っている。

ひとりでは生きていけないなと感じる。 この二日、たくさんたくさん話して、自己実現を図っている。

 

おかあさん、おかあさん。

 

酔っている。

明日、午後二時半に、私の作った日常へ帰る。

クーラーをつけてねむる

たくさん話して、お風呂に入ったら、突然眠たくなったな。ものすごく自然の摂理に従っている感じがして嬉しい。犬は、ソファをほって、ほって、ほって、ほって、くるんと回転し、うっとりと眠りに入っていった。

 

明日は犬を転がして、アジアンなデザートを食べに行き、書き物でもしようか。

 

今晩はうまくねむれそう