お酒に酔って、

聞こえの機能がすこし弱まる感覚が好きだ。

まさに、右から左に流れていっている気がする。

 

すこし疲れて淀んだ気持ちは、

お酒でもなくならず、

むしろ際立つところもある。

それは悪くなくて、

淀みを見つめた方が良い気がする。

よく見たら淀んでないだろうから。

 

一人で過ごしたほうがいいはずなんだけど、

眠ったほうがいいはずなんだけど、

金曜日の誘惑はあって、

チーズと卵焼きのあと、

人にいれてもらうビールを欲してしまうね。

 

自分の人生を主観的に生きるしかない。

主観的に満足できるように、

というのは過激だろうか。

 

なにがなんだかわからない。

人のことを自分ごととして語れるほうが良いのか。

良し悪しなのか。

羨ましいのか。

負担を引き受けていることの羨ましさが、

一定程度ある。

なんにもできていないやましさや、

責任を負っていないことの恥ずかしさがある。

歩を進められていないような悔しさや、

切り開いていないような焦りがある。

左足を前に、右足を前に、進めてきたはずなのに。

みじめなのはかまわないけれど、

それは主観だから、関係ないから。

でも、どこに一人立っているんだろうということを想う。

悔しさがある。

 

でも、きっと、

これもまた一時の気の迷いなんだろう。

明日も左足を前に、右足を前に、出す。