誕生日のはなし

誕生日のはなしも、仕事のはなしも、一年前のはなしも、全部羨ましくなってしまった。私が話しても、温度のない生返事を聞くことになるだけなんだろうなと一瞬頭をよぎったら、何やってるんだろうって思ってしまった。何を促してるんだろうと。

ひどく、独りよがりなことは分かるけど、満たされなくて、暴れ出してしまう。誰かの一人語りの相手にこそなれ、自分のターンがきたことがあったんだろうか。忘れてしまっているだけなのか。自分が話せば、誰かがうなずいてくれるのか。誰が、血の通った相槌を、手を差し伸べる質問を、同意を、意見を、共感を、後押しを、批判を、広がりを、方向を、笑顔を、視線を、時間を、次を、渡してくれるんだろうか。

今まで、率直さを避ける癖のツケが、ここにあるのかもしれない。波風のないことが、良いことではない。自分自身のために相槌を打っていたところもあるのかもしれない。適当なワードで相手が喜んだらそれでいいんやろうと、高を括っていたかもしれないな。

 

人に対して不満や、不平、不平等さを作って抱え込んで、なにが会話だと思うよね。面倒なだけだと分かる。私が、一人語りを呼び寄せてることも、聞いた。

 

じゃあどうしたらいい?

怖がらずに、一言一言、思った通りのことを言って、嘘をつかないで、自然に淘汰し、淘汰されていくのがいいんだろう。そう思うけど、思うけど。自分の不誠実さは、自分には分かっているよね。

 

でも、私のエネルギーは嘘ではなくて、

どうして目の前の人が大切か。

どうして一生懸命になるか。

 

だって、手の届くところで笑ってるんだもんな。信じてしまうよ。ずっとそうだった。中学生のときから、目の前でこちらを向いている人のことが、大切になってしまう。うまくいったことがないな。判断力が低下してしまう。

 

今回も、私の負けだね。ちょっと降参だわ。

冷静になれない。