今日体から出た鮮血のことなら、忘れていたいよ。

 

こんな日が来るなんて、何もわからなかったな。

そんな風に意識したことが一度もなかったから、あの二軒目のお店で、抹茶の香りがつけられたモヒートを飲む私に、君は僕に合うと思うんだ、一年くらい前からそう思ってた、と言われたとき、うそでしょう?と思ったし、タチの悪い冗談だと思ったし、消去法として編み出した答えなのでは?と思った。

ただ、本当に長く一緒にいて、信頼は積み重なっているし、思い切りのあるところも、信念のあるところも、疑わない。表裏なく振る舞えて、嫌味のないところも、そう思う。少し子供っぽく、思考が安直だけれど、まあそれはそうなんだろうなと思う。

他方、家族関係が熱すぎて私にはトゥーマッチだし、居住地域も遠くて、さみしいな。私に対する愛情の気持ちをもっているかはよく分からないし、それが今後育まれてゆくものなのかも不明。

 

いろいろ話す中で、隣の席で左手をつないだことも、歩きながら右手をつないだことも、不思議な気持ちで思い出す。

 

この一歩があまりにも大きな一歩なら、という前提で話してくれたことも、とても気持ちが分かる人だなと思ったし、それで、一度、最終的な部分を試してみるしかないのではと言われたときも、なんて明朗な話かと笑ってしまった。

 

ここはどう?この問題は?こんなときどうする?と質問をたくさん思い浮かべる私に、ここまでネガティヴな心配症とは思わなかったと言っていたけれど、それはそれで答えを出すのが楽しいと、挑戦のようだと言っていた。

この点わたしは、そんなのは冷めたらすぐに面倒になるのだと釘を刺したけれど。

 

懸念は生活基盤が遠いことと、お試しができないこと、それくらいだと言う。まああながち外れてはいないな。

 

中間地点で会ったとて、なにもこれ以上分かることはなくて、ようは楽しいだろうし、問題は「生活」することだと、私も思うから。

私が仕事を辞めても?

週に二回だけ帰ってくることでも?

そんな話までして、でも、やはり、思いきる気持ちにはなれず、躊躇いをもつ。